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中村天風と心身統一法

中村天風について

本名:中村三郎。1876年(明治9年)、父、中村祐興(旧柳川藩士、後に大蔵省抄紙局長)、 母、長子の三男として現東京都北区王子に生まれる。
なお天風の号は、剣の達人でもあった師が得意とした随変流の一手、天風(あまつかぜ)に由来している。
その性格は、剛毅にして恬淡明朗。それは祐興の九州男子の剛毅、長子の江戸っ子の気丈を譲り受けたことによる。又その姿には品があり、凛として溌剌颯爽。それは中村家と柳川藩立花家の縁と無縁ではない。
師の生来の激しい性格に手を焼いていた両親は、小学校を終えた三郎を福岡市の知人の家に預け、そこから修猷館中学に通学したが、故あって修猷館を中途退学した。その後、福岡の壮士が集う玄洋社に預けられ、終生の師と仰いだ頭山満と出会う。
やがて頭山満の命を受け、軍事探偵として日露戦争に参加。しかもその活躍は、後年新国劇が「満州秘話」と題して、島田正吾の主演で上演するほどの捗々しいものであった。
しかし日露戦争後、当時不治の病といわれた粟粒結核を発病。幾多の名医の治療を受けるも病状の好転はなく、新たな治療と精神的救いを求めてアメリカへと密航する。にもかかわらずアメリカでの成果といえば、華僑の息子の身代わりとしてコロンビア大学で医学を学んだことぐらいであった。アメリカからイギリスを経てフランスへと渡った三郎は、大女優サラ・ベルナールの邸宅に寄宿し、そのサロンで当時の先端的物理学を始めとする近代科学思想に触れるが、ここでも満足な答えを得られずじまいであった。更に一縷の望みを託して訪れたドイツでも結果はやはり同じで、残された選択肢は死を覚悟する以外になかったのである。
「最早これまでか、同じ死ぬならその前に母に会いたい」。失意の中でこう決心すると、すぐにマルセーユの港から帰国の途についたが、天は天風を見捨てはしなかった。途中に寄港したエジプトのアレキサンドリアで、天風はヨガの聖者カリアッパ師と出合うのである。「さあ、ついておいで」、「かしこまりました」。聖者が導いたのはヒマラヤ第3の高峰、カンチェンジュンガのふもとのヨガの里であった。そして約3年の修行により、宇宙真理を悟ったのみか、病をも克服し、母の居る日本へと生還したのである。
帰国後、三郎は実業家として成功するが、心底からの満足は得られなかった。世の中には貧困や病に悩み苦しむ人々が数多く居る。「何の為に宇宙真理を悟ったのか、悩み苦しむ人を救いたい」、意を決した三郎は上野公園で辻説法を始めたのである。 
時に三郎43歳、1919年(大正8年)のことであった。
やがて聴く人の胸を打つ説法の噂が時の宰相原敬の耳に入り、これを契機として数多くの政財界、法曹界、宗教界などの要人が教えの門を叩くこととなった。そして、天風の教えに感動した東郷平八郎元帥は、天風を称賛して次のような自筆の詩を残している。
『神国哲人出 扶桑雲海開 英雄興児女 都入法門来』
読み下すとこうである。
神国(日本)に哲人(哲学者)が現れ、扶桑(東海の日の出る所)に垂れこめた雲海を開くと、英雄から児女(女の子)に至るまでの都(すべて)の人が、教えを乞おうとして入門した。
「人は皆、自らの中に、自らを幸福の彼岸へと導く力を保有している!」この真理を天風は教えようとしたのである。天風は人々を救いたい一心で教えを説き続けること50年、1968年(昭和43年)にその波瀾万丈の生涯を閉じる。時に天風92歳であった。


「心身統一法」について

そもそも、なぜ私達には心(精神)と身(肉体)が在るのでしょうか?
このような疑問を、一度でも抱いたことがある方は恐らく少ないと思います。
しかし現に在るということは、「在る為の理由」が必ずある筈ですから、それを考えてみることにしましょう。
さて人は、「心と身は在って当たり前」と思っています。誰でも生まれつき持っている訳ですから、在ることに関して何ら疑問を抱かず、また考えようとしないのは当然かも知れません。
でも、仮に心と身が無ければどうでしょう。毎日の生活を送ることが出来ないどころか、この世に存在すら出来ないことになります。
ですから、決して「当たり前」ではないのです。
そこで「在る為の理由」です。
それには「生活」という言葉を「生きる」と「活かす」に分ければ答えが出てきます。つまり「身はその人を生かす、心はその人を活かす」為に在るのです。従って、このような理由が解れば、あとは「どう生かし、どう活かすか」を考えることです。とは言え、この理由が解らずとも、人はこの「当たり前」でないことを無意識の内に知っていますから、日頃から「心と身の扱い方」に関して、「さて、どうしようか?」と一生懸命に考えますし、悩みもするのです。しかし、取り立てて「扱い方」を考えたり、悩んだりしなくても、私達の身は紛れもなく活動しています。事実、私達が自分の意思で「心」を扱えるのは意識の有るとき、つまり目覚めている時間帯に限られます。
では、意識の無い睡眠中はどうでしょうか。その時の「心」は確かに活動を休止していますが、「身」はその最中も休むことなく生きる為の活動をしています。その一方で、「心」は休んでいるだけで消滅してはいません。このように、生命がある限りは「心」も「身」も厳として在る!・・・ここが大事なポイントです。
そこで、同様のことを、生まれたばかりの赤ん坊に観ることができます。赤ん坊にも間違いなく心身がありますが、大人と違って自分の意思で心身を扱ってはいません。ところが数年も経ち、自我が芽生え出すと、自分を「何とか上手に活かそう」として心を扱い始めます。そしてこれが高じると、次第に扱っている心を「これが心のすべてだ」と錯覚するようになってしまいます。つまり、これが今の私達の心なのです。
それに比べて、悩んだり、苦しんだり、嫉妬する赤ん坊を見たことがありませんし、その笑顔に普通の人なら惹かれます。それは赤ん坊が「まっさらな心」を持っているからです。だからと言って、「活かそう」とする心が無い訳ではありません。その証拠には、様々なことに興味を抱き、貪欲に知識を吸収しようとします。即ち、親が教えずとも、また自らが意識せずとも、自分を「活かそう」としているのです。
意識せずとも「活かそう」とする心が自然に働き、心が関与せずとも「生きよう」として身が働く、このように「心身が本来の理想的な姿」で働いている状態を、天風哲学では、「心身が統一された状態」と言います。
では如何にすれば、赤ん坊と同じように心身を統一した状態に出来るのでしょうか?
その一つには、生まれた時の「まっさらな心」を取り戻して、これを「今、使い持っている心」と取り換える。
もう一つには、生活習慣を改めたり、鍛え直することで、「身」を生まれた時と同様の状態にすることです。ですから、「心身の本当の姿」を悟った天風は、「本来の心も身も、それは絶対に強いものだ!」と断言し、更にこの「強い」を「積極」という言葉に置き換えて、これを「心身統一法」に於けるキーワードとしたのです。
ところが人生には、健康を損なう時もあれば、不遇の時もあります。だからこそ、貴方の「一度限りの大切な人生」を成功へと導く為のHow to doについて是非とも学んで頂きたいのです。


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